無類のカップ麺好きなんだ。


つい先日、俺の長年のトップランカーだったペヤングを抑えた猛者が現れたのよ。


焼きそば弁当

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from北の大地!!

 

大の粉ソース好きの俺を液ソースで

抑え込んだ猛者!
適度に陳腐な麺!!
明日を顧みないカロリー!
しっかり箸に乗る縮れ麺のライド感!
極め付けは中華スープ付き!!
ここが他のカップ焼きそばの追随を許さない

キャッチ―点!
基本、流しに捨てるゆで汁で粉を

溶いて副菜に昇華させる着眼点!!
大好きだわー、、、

 

北海道限定だってのがまた、憎いよね。
簡単に手に入らないの。

 

そこで到達したの、オタクの積む快感に。
「あ…こういうことなんだな」って。

是非ともご賞味してほしい!!

敬具

 

事後と達観

 

自分が知ってる事柄事象が、みな、共通じゃない事は当たり前で。

自分の中の常識が、みな、共通じゃない事も当たり前で、その時々、伝わってると、同じ目線でいると錯覚しまう時がある。

 

これは共通だと思う。頭で分かっていてもいざ、対峙すると気に食わないって、違うだろって、躍起に心が燃えるだろ。(笑止な事受け合い)

 

各々、既知の知識は実感を経たことの恩恵であり、現状持っている常識やモラルと捉えている心中のボーダーラインも然り。一つの人生の中で、今回の生の中で、実感を経た事の表れ、恩恵である。

 

経験を積んでいくと人が出来る。知恵が肉付いてきて、倫理が生まれる。

それが生まれる瞬間は人それぞれで、時期も違うし、毛色も違う、見え方も違う。そもそも一つになれないんだ。共通認識は認める。然し、だけれども人と人は相容れず死んでいくんだ。

生きていても80年生きれるかどうか分からないだろ。その中で今自分に降りかかってる事、見たこと、感じたことは違うし、当たり前に共通じゃあない。 

 

見えてないだよ。否、己より見えている。

 

これを理解、常識にする事が俺は、悟だと考えている。

 

津々浦々、多様な世界があると思う。少しでも相手が考えていることを見える様に意識向けて生きれたらスマートな社会になると思う。

雑記。

バレンタインの時

 

2019年、2/14、過去を書く事になってしまったけれど仕方無い。

今年のバレンタインはプレゼントは皆無だった。

だから自分に買ってあげた。

 

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シベリアは実に下品な食べ物だと思う。確実だな。

カツカレーみたいな構図。プラスとプラスの磁石を無理矢理押し付けた仕上がり。各々が自立しているのに意固地に添え木してる感覚。しかしだ。

俺はそれが好きだ。バランスは最も。(前述したけれど)足し算引き算で成り立っている。しかし、シベリアはそのバランスをも超越している。美味しんだよ、足し算と足し算が。

カツカレーもそう、楽しいと楽しい、ロミオとロミオ。

シベリアの様な人間になりたいと思う。 

品がなくとも愛されるものになりたい。

ローテクとハイテク

 

着実に平成が、終わろうとしている。

幼少期からの未来になってきている中、俺はローテクが、好きだ。

 

それで自己のバランスをとっている気がする。俺の弥次郎兵衛。

 

現状ハイテク印象

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俺の好きな芳ばしいローテク

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ここに、あちらが立ってもこっちが立たなくなるジレンマがある。

俺も便利が良い。簡略されている事に限り無い、しかし、ロマンが失われ、詰られ、軽蔑軽視、蔑ろにされるんだ。

浪漫が良い、浪漫があるからいい、やっていける。

ローテクには浪漫が有って、ハイテクには浪漫が無い。そこまで極には思わないが、人臭さが無くなっていき、白くなっていく。少し茶色も欲しいじゃないか。

人は浪漫で生きていると思う。大層か。

しかし、景色観に赴くのもそう、映画を観るのもそう、写真を撮るのもそう。浪漫を感じるから、趣きがあるから魅了されるのだろう。

現在、利用している有料動画サービスは皆無。

穿っている訳では無い、気取って無い、ただ、俺はレンタルビデオ屋で選んでいる姿の方が似合っているから。自負もしている。

とてもジレンマ。

俺だって便利が良い。(再三になるが) 

 

浪漫を感じて、ローテクの不便さの甘さを知っていると生き辛くなってきたものだと、置いていかれてるな、と肌身に染みながら生きています。

 

 

 

 

なまもの

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俺は生の食べ物が得意じゃない。

 

刺身も嫌い。かずのこは大好きだから、独断から

唯一の存在としてカウントしてる。

 

生の物が得意でないのも

食感が柔らかく、ジューシーであると

「生」を感じてしまうからで。

 

くにゅくにゅくちゅくちゅぺちゃするのよ、

ねばねばぺちゃぺちゃぐにょぐにょするの、

 

人生の中で度々この話をする機会があり

その都度異論を買うのが

卵かけご飯。

T.K.G.

「生卵なんてもうひよこじゃん!

黄色いし、もうひよこの素です!って自己紹介してるじゃん!この丸いのに羽と足生えてぴよぴよしてる様が目に浮かぶわ!」

 

俺は持論を展開してきたが納得される事の方が少ない。誠、遺憾。

それに納得出来ん。

美味いとか不味いとかは論点が違うのよ。

 

そもそも

卵→ひよこの成長過程は覆らない。

 

ひよこは好きだ、可愛いし。

生が苦手なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

バランス

 

バランスがどれにつけても優先される事に

二十数年生きていて達観した、

 

交友関係、社会、縦、職務、趣味、

人間として生まれたからには彼からのストーキングは逃れられない。世俗に居る限り。

 

日本の義務教育はよく出来たもので

それを染み込ませてくれてる。グループを率先して作らせる。その社会の縮図が合って基礎に当たる。

それがマナーになり、モラルに知らず知らずと、昇華されていく。

その中でもやはり理性が備わっていると

個が活発になって反抗、抗いがうまれる。

 

ここが、バランスのジレンマ。

このジレンマが厄介で、ヤキモキする。

俺自身、悩まされているし、渦中。

 

際立ったことをしたい、人と重なりたくない、交じりたくなく、純粋に自分だけ唯一無二、唯我独尊。

 傍若無人に振る舞い、己の独立が生活に不自由なくしたいというのが、この抗い人の胸中にある、毅然と。

それでも人社会を生きていて、理性と倫理がそこそこ、備わって、グループ交際を刷り込まれたからには、胸中にヤキモキが産まれる。カオスである。

 

己にいる個を優先するのか、他と並べた平坦に成るのか。

 

毎度、考えたりすることもある。

そう、俺は繁雑なんだ。

 

結局つらつらと、書いていてもバランスが、どっちに傾いているか分からなくなる。

人の時間は尖りを擦って擦って、その平坦にならしていく時間なのかもしれん。大層過ぎ。

知らん。

 

レビューに至った経緯は

 

 

 

そこまで大それた事もないんだけど

 

つい先日散歩してて

 

俺「あ、これ良い自販機だわ、これ入れてる辺り渋いわ…あっー!これも趣味良い」

 

友「え、分からない…??、え?、」

 

俺「えっ???」

 

 

世の人は自販機に甲乙付けないらしい。

好みの自販機とかないのか

少し遠出した先の自販機とか点数付けたりしないのかなオペレーターの心情読んだり 

 

終いには『自販機マニアの変態』と罵られ

 

俺は己の“変”に気付くに至った。

 

 

ちなみにお気に入りはダイドー伊藤園は苦手だ。

 

 

 

今回は渋谷区幡ヶ谷周辺。

 

 

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 恐ろしさ★★★★☆

買いやすさ★☆☆☆☆

やる気★☆☆☆☆

 

 

いやーもうね、狂気。Pokka Sappor okkaの悪ふざけが出てる。

下段の余白が怖いね。畏怖。レパートリーにも生気を感じられない。稼働する屍。生殺しされてるよ。

 

んー狂気、狂気。