事後と達観
自分が知ってる事柄事象が、みな、共通じゃない事は当たり前で。
自分の中の常識が、みな、共通じゃない事も当たり前で、その時々、伝わってると、同じ目線でいると錯覚しまう時がある。
これは共通だと思う。頭で分かっていてもいざ、対峙すると気に食わないって、違うだろって、躍起に心が燃えるだろ。(笑止な事受け合い)
各々、既知の知識は実感を経たことの恩恵であり、現状持っている常識やモラルと捉えている心中のボーダーラインも然り。一つの人生の中で、今回の生の中で、実感を経た事の表れ、恩恵である。
経験を積んでいくと人が出来る。知恵が肉付いてきて、倫理が生まれる。
それが生まれる瞬間は人それぞれで、時期も違うし、毛色も違う、見え方も違う。そもそも一つになれないんだ。共通認識は認める。然し、だけれども人と人は相容れず死んでいくんだ。
生きていても80年生きれるかどうか分からないだろ。その中で今自分に降りかかってる事、見たこと、感じたことは違うし、当たり前に共通じゃあない。
見えてないだよ。否、己より見えている。
これを理解、常識にする事が俺は、悟だと考えている。
津々浦々、多様な世界があると思う。少しでも相手が考えていることを見える様に意識向けて生きれたらスマートな社会になると思う。
雑記。